「学びの心構え」
「学びの心構え」
何事でも一流になるために行っていくことは、
最初は、下手くそからスタートします。
そしてその下手くそから毎回学び、
うまくいっている人を真似し、
型を覚え、成長する喜びを知り、
自分らしくやる方法を手に入れていくのです。
そこに本当の自分らしさの成長があるのです。
しかし、私達は、年齢を重ね、経験を重ねるにつれ、
「うまくやりたい」「恥をかきたくない」という思いが
生まれてしまいます。
そうすると、何かを始めるときに必ず通らなければいけない
「下手くそな自分」という門を通ることができなくなるのです。
「一流の自分」という門に到達するためには、
「下手くそな自分」という門から始めなければいけないのです。
達人の道、一流の成果をつくり出せる道に
入って行こうと思う時、払い落とさなくては
ならないものがあります。
・「小さな見栄」
・「ささいなプライド」
・「よく見られたいという小心者の願い」
・「自分のやり方へのこだわり」
というようなものです。
なぜこれらのものを払い落としてから、
「下手くその門」の中に入らなければならないかというと、
それらは、「学び」を阻害するものにほかならないからです。
「小さな見栄」は、自分自身がうまくいかないかもしれない
ことにはチャレンジさせません。
なぜなら失敗を、「恥」だと思ってしまっているからです。
「ささいなプライド」は、素直に人のいうことを
聞くことを邪魔させます。
なぜなら、人のいうことを聞くということは、
「自分が相手よりも劣っている」ということを
認めることだと思ってしまっているのです。
「よく見られたいという思い」は、
真剣にそのスキルを磨くことに集中させるのではなく、
人が見ているから頑張る、褒められるようなときだけ頑張る、
というような見せかけの努力へ流れてしまうのです。
なぜなら、周りから褒められるということは、
自分自身の価値が高いものだと思ってしまって
いるからなのです。
「自分自身のやり方へのこだわり」は、
新しい成長を生み出すことを邪魔させます。
なぜなら、「自分自身のやり方」とは
「これまで(過去)のやり方」であって
「これから(未来)のやり方」ではないのです。
【 成長とは常に「これまで」にあるのではなく、
「これから」にしか存在しないのです。】
しかし、多くの人は、その「下手くその門」を
なるべく通らないようにして成長の道を歩んで
行こうとします。
けれども「見せかけの成長」が
たとえそこにあったとしても、
「本当の成長」はそこにはないのです。
さまざまな一流の人たちは、
何か新しいことを始めるときは、喜々として、
下手くそな自分を楽しんでいます。
「へたくそな自分を楽しむ」とはどういうことかというと、
「小さな発見」を楽しめる心であり、
「小さな成長」を感じれる心であり、
「誰が見ていなかったとしても努力をすることを愛する」
という心であり、
「指導をしてくれる人への感謝」を忘れない心なのです。
何かを「得意」というのは、それを「好き」な人には
いずれ敵わなくなります。
そして、何かを「好き」な人は、それを「楽しむ」ことを
している人にはいずれ敵わなくなるのです。
「成長の秘訣は素直さだ」とよく言われます。
一度、素直になって学びの道を歩み始めると、
どんどんと吸収する「体質」になります。
すると、ますます成長が加速します。
実は、成長の道は、「下手くその門」から入ると、
とても遠く感じるかもしれませんが、
一度下手くその門をくぐると、
あとは、「一流」まで一気につながっているのです。
下手くその門をくぐることを拒否したがあまり、
急激な坂道を転びながら、けがをしながら
傷つきながら登っていくと、
実は遠回りになってしまうだけではなく、
途中でやめてしまう人が続出する理由となってしまうのです。
自分自身が何か新しいことを始めるときに、
「上手にやらなければ」と背負ってしまうときと、
「失敗してもいいんだから楽しもう」と思えている時では
どちらの方がパフォーマンスが高くなるでしょうか?
苦しみながら目標達成をするのではなく、
自分自身がまず今この瞬間から充実感を感じ、
その充実感や幸せな気持ちや感謝を、
ますます感じながら目標に対して
近づいていくアプローチが大切です。